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♪ #9: すみれ香水 / 村下孝蔵
土曜日の夜に家にいると、突然花火の音がしたので
窓を開けて外を見ると、遠くのほうで花火が上がっていた。
多分シャープの夏祭りのヤツだろうなぁと思いつつ、
ベランダに出てしばらく眺めたあと、
部屋に戻ろうかと網戸に手をかけようとすると、
網戸の真ん中に、スズメバチ。ヒエ~ッ
極めて慎重に網戸をスライドさせてそーっと部屋に入り、慎重に網戸を閉める。
ここまでくればこっちのものだ。
部屋の中から縫い針を使って網戸の網目の隙間から攻撃。
ほっそいほっそい縫い針なのでなかなかヒットはしないが、
向こうも尻を震わせて威嚇。かなり激怒している模様。
しばらく攻防は続いたが、やがてヨタヨタと網戸の端に移動し、見えなくなってしまった。
実はスズメバチにこんなに接近したの初めてなんで
ついつい幼稚な行動に走ってしまったことを今は反省しております。
でも、申し訳ないことをしたとは思ってません。
ヤツらの殺傷能力の高さを認めればこそ。
――――――――――――――――――――――――
昨日の日曜日は、広島県吹奏楽コンクールの大職一部門の日でした。
今年もおれは不参加なので、終始客席から聴かせていただいた。
それにしてもこの日も暑い。
普段、冷房の効果もほとんど届かない熱気と蒸気の溜まり場である厨房にいるとはいえ、腐っても屋内。
日中は炎天下の屋外に出ることもあまりないので、
実際今年の暑さがどのようなものかあまり実感していなかったのですが、
今年ヤバいね。途中の路上温度計が39℃になってましたよ。
グロッキー状態になりかけながら、なんとか現地に到着。
どうでもいいけど、バイクで走行中に熱中症になったらどうなるんでしょう。
転倒したが最後、2号線でハンバーグになってしまう運命をたどるのでしょうか。
昼過ぎまでは高校A部門の終盤戦が行われていて、そのあと大学→職場一般となるこの日。
大学の部終了後に、いざ会場へ。
っておいおい、販売されているプログラム冊子の表紙。
今年はなんかアレだな、なんか時代を反映してるというか、
そっち方面の文化には明るくないので、○○みたい、という例えはできないのですが、
一般人目線で言うところの、「腐女子が好みそうな絵柄」のキャラクターが楽器を演奏してるイラスト。
吹連はじまったな。いや終わってるだろ。どーすんだコレ。
そんでもって精一杯爽やかさを出そうとしてる感がヒシヒシ伝わってくるのが余計に悲しくなる。
なんでこんな冒険しちゃったのか。吹連は。
まさか、表紙のレイアウトを依頼していた先から提出されたのがこれで、
断るわけにもいかないからそのまま使っちゃったってことはないでしょうね。
いつやらのウィンドの定期のプログラムを思い出すぜ。
結局断ったけど、おれが実行委員長のときだったから大変だったぜ。
そして一般の部の雑感をさらりと。素人耳注意。
NTT中国 ・・・ 金・代表 いつもほど圧倒はされなかった。まあ普段がアレ過ぎるだけなんだが。
海田 ・・・ 銅 うーん。安定の海田クオリティ。いつもよりは多少よかったとは思う。
ファミリア ・・・ 金・代表 今年は珍しくF土井というネームバリューに頼らない納得の代表だったと思う。
祇園W ・・・ 金・代表 ハッキリ言って今年は絶対代表ではないと思った。納得いかん。
国際OB ・・・ 銀 近年、「金賞か銀賞かの当落線上」というポジションから一歩後退した気がする。
やすにし ・・・ 銀 自由曲好きな曲だったんで期待したんですが、非常に惜しい演奏だった印象。
東広島W ・・・ 銀 課題曲がまだ少しバラけて聴こえてくるのが残念。コーラスはGOOD。
元祖平成 ・・・ 金 個人的にここがトップで抜けると思った。圧巻の演奏。Hrnすげぇ。納得いかん。
福山W ・・・ 銅 コンクールとしては、自由曲の選択がイロモノだった感じ。
廿日市 ・・・ 銀 元祖もよかったけど、課題曲Ⅴはここの演奏がよかった。
五日市 ・・・ 銀 課題曲Ⅲのドラムはここが最高にカッコよかった。楽譜通りだったかは微妙だが。
ということで、代表は、NTT、シンフォニックファミリア、祇園ウィンドの3団体。
個人的には、
NTT≧元祖>>ファミリア>>>>祇園>>東広島>国際>五日市≧廿日市>やすにし>>>福山>>>海田
だった印象。
元祖については、演奏が終わって拍手の段階で、
隣で一緒に聴いてた人と、「ここは抜けましたね」と言い合ってましたし、
休憩中に会った元元祖の友人にも、「元祖は当確じゃろ。祇園はイマイチだったわ。」ということを
祇園の集団がいる横で、それに気づかず断言してしまったり。
代表常連の元祖とはいえ、今年はさらに圧巻だった印象なのに、
プロの耳ってのはわからないなぁ。(これ批判じゃないですよ)
ウィンドについては、特に自由曲よかった。
課題曲も、初のⅤという選択に少し不安でしたが、ホッとしました。
ていうか、音楽祭終了後から1か月半でよくここまで仕上げたな。
まあ毎年のことですが、この短期で持っていく力に関しては目を見張るものがありますね。
そして再来週から酒まつりまでの1か月半で、今度は映画音楽10曲ちょいか。
そして秋のイベント2,3件片づけて、定期まで4か月か。
うん、なんだこの忙しさ。
まあ毎年のことですが。
順位については、まだ詳細を聞いていないのですが、
ウィンドは銀の1番上だったらしい。
マジか!!!
あーーーまたかよ。つーかウィンドって銀賞のトップ多くない?
3年前もそうだったし、去年も銀賞トップと1点差の銀賞2位だった気がする。
ちなみに今年も含めたその3回は、おれは出場していない。
おれがウィンド入団後に出場したのは2回だ。
4年前(銅賞)と、2年前(銀賞の1番下)の2回・・・・・・あれ?
あっ・・・(察し)
ところで、このコンクール。
会場の至る所で、スタッフとして動き回る高校生の姿を見ることができる。
別に女子高生をたくさん見れて喜んでいるわけではありません。
これ、僕も高校時代にやったことあるんですよ。懐かしいなぁ。
ということで、コンクールスタッフのお話を少しさせていただこう。
(あくまでおれが高校生だった当時の内容です。今は知りません。)
スタッフとして召集される高校生は、当然会場近隣の高校の吹奏楽部員ということになる。
おれがいたM町のほか、K泰寺、あとM実もいたかな・・・あとどこだっけ。
毎年コンクール直前に平和祈念式典があって、それの演奏参加校とごっちゃになってるんですよね。
そっちの方は、舟入とか市商とかもいたんですが。
ともかく、その該当高校の生徒たちは、自分のコンクール出場が終わり次第、
スタッフに回ることになるのだが、
基本的に高校は、B部門→小編成→A部門という日程の流れになっていたため、
A部門とB部門の両方に出ていたウチの高校は、
B部門組が先にスタッフとして召集され、A部門組もそちらが終わり次第合流することになる。
ちなみにこれは強制ではなく、あくまで自由参加である。
例えば、コンクール終了後に家庭の用事があったりして参加しない人もいる。
とは言え、どうせこの期間は当然部活もやってないし、
部署にもよるけどタダで他校の演奏が死ぬほど聴けるので
ウチの高校に関してはほとんど参加していたように思う。
さすがに盆に差し掛かってくる終盤辺りは減ってきたけど。
ああ、そうそう。
上で「タダで」と書いたが、実はタダではない。
スタッフとして働くと、1日当たり1000円の日当が出ていたのだ。
今考えると、朝から日没まで、
しかも、炎天下の下で(←これについては後述)動き回っていて1日1000円とはとんでもない話だが、
あくまで部活の延長として行っていたことに日当が発生したことに当時は感動したものだ。
思えばこれが人生初のバイトだった。
スタッフはいくつかある部署、というかまあ仕事内容ごとに人員を振り分けられる。
受付スタッフ、
プログラムやCD等の販売スタッフ、
出演者の誘導スタッフ、
舞台上のイスや譜面台、ピアノ等を団体ごとにセッティングするスタッフ、
審査員にお茶を出すスタッフ、
打楽器運搬トラック等の整理のための駐車場常駐スタッフ、
打楽器の搬入、搬出スタッフ、
客席出入り口で待機して団体入れ替えの間に扉を開けるスタッフ、
等々、、このように多岐にわたる。
このうち、駐車場スタッフは搬入・搬出スタッフと併用なのだが、
基本的に女社会である高校吹奏楽部において貴重な男手は120%ここに配備される。
まあ炎天下の屋外業務や肉体労働など、男にでもやらせておけということなのだろう。
吹奏楽部の男とはかくも不当な扱いの中で、理不尽のなんたるかを学び、強く逞しくなっていくのである。
まあそのぶん男同士の結束はかなり強くなり、
毎年コンクール後には、学年を越えて男だけの打ち上げをしていた。
打ち上げ後に中央公園で花火をしようとして職質されたのもいい思い出ですよ。
少し話は逸れるが、おれやJungleなんかは男で、さらに金管ということで一番割を食っていた気がする。
木管の「楽器が繊細だから屋内使わせて~」、低音の「思いから入口付近使わせて~」
まあ、ラッパは男の先輩多かったし、Jungleなんてボーンの練習場所離れておれんとこ来てたくらい、
目の届かないのをいいことに、割と好き勝手にしてた気がします。
おれとJungleの絆は、このような経験を経てガッチリと深まっていき、
今ではウィンドでは誰もが認めるコンビとなっていったのであります。 Fin.
閑話休題。
ということで、スタッフ腕章に加えて、麦わら帽子必携となるこの男の花園には、
もう一つ必需品がある。
それが、トランシーバー。
まず男は2グループにわかれて、それぞれ搬入口と搬出口に待機するのだ。
トランシーバーはそれぞれに1機ずつ渡される。
それぞれの場所には、その日のタイムスケジュールを記した紙が貼られており、
そこには当然トラック到着時間や舞台搬入時間、といったデータまで記されている。
トラックが到着すると、
駐車場ゲートのところで運転手に団体名を確認し、誘導。
そしてトラックに積まれている打楽器等をおろす。
積み下ろしは基本的に運転手やその団体の生徒、団員が中心になって行うが、
特に中学だと、かなりの部分補助が必須な場合も多い。
男手がほとんどいない高校なんかでも然り。
当然、1つの団体が完了したら、次のトラックが来て・・・・というわけにはいかない。
トラックは次々にやってくるので、そこらへんをうまくやりくりするのが慣れるまでは難儀した。
そして降ろした打楽器は搬入口の扉をくぐってすぐの舞台袖下手側に運び入れる。
そして、空っぽになったトラックを搬出口に回すのだが、ここでトランシーバーの出番だ。
搬入から搬出に、搬出口の様子を聞き、回してOKなら運転手に伝える。
そして搬出口には、「○○高校のトラック、中ピ(中国ピアノ運送)、ナンバー12-34、いまから回します、どうぞ。」
てな具合につけていく。
ナンバーなんかは到着した時点でタイムテーブルのその団体のところにメモしておくのだ。
搬出口での打楽器搬出や積み込みが手間取っており、駐車場の容量がいっぱいの場合は、
少し待機しなくてはいけない。
このようなときは、搬出から応援要請が来る場合もあるので、何人かそちらに回すこともある。
ちなみにおれは、スタッフ担当した2年間とも、一貫して搬入口担当だった。
炎天下だし肉体労働だが、
終始緊張して私語もロクにできない舞台袖待機組(セッティング担当)や受付組とは違い、
要所要所の仕事さえしていれば、待機中は私語し放題だし、
搬入口くぐったらすぐ舞台袖なので、演奏を聴きに行くのも容易かった。
ある意味、「人の目が行き届いていない」ような持ち場だったので、精神的にはかなり楽だったと思う。
駐車場入り口で待機中に中学時代の顧問と遭遇して話したり、
舞台袖にフラフラ~ッと入り、待機中の中学生と、
「この楽器何ていう楽器なん?」
「ああ、これクロテイルです。」
「へぇ~これが!現物初めて見たわ。」
なんつー会話したりね。
緊張しているであろう中学生の緊張を解すべく色々話しかけていたのだが、大迷惑だったに違いない。
いや、ちゃんと大人もいましたよ。アーツ楽器の人とか、K泰寺の顧問の先生とか。
なお、スタッフに召集された他校の吹奏楽部には当時あまり男がいなかったのか、
おれがスタッフした1年時と2年時はここのスタッフは大部分がウチの高校の生徒だった。
ある年など、ウチの男衆以外は、K泰寺とM実は1人ずつだけだったという年もあった。
ただ、そのときのK泰寺の人(1コ上)がコミュ力の塊のような人だったので
結局その人がみんなをまとめていた気がする。
コンクール終了後にその人の呼びかけで「男スタッフの打ち上げ」までやったし。
ホントお前ら打ち上げ大好きだな! と当時のおれたちに向けて一言。
さて、仕事をする上で何と言っても楽しみなのは弁当である。
スタッフには弁当が支給されるのだが、
毎日、何種類か弁当があり、好きなヤツを勝手に取って食べるのだ。
今でも非常によく覚えているのだが、
時々、「ウナギ弁当」があったのである。
うな重みたいなのがそのまま入ってる、たぶん1000円くらいもするヤツが。
それがあった日は必ずそれを奪取していた。まあ当然でしょ。
ちなみに、一日を終わって弁当が残っていた場合は、頼めば貰えたので、
頻繁に持ち帰って食べていた記憶がある。ヒドイ時は1日に3個貰って帰ったこともあった。
一度だけうなぎ弁当が残っていたときは、そりゃ嬉しかったね。
プログラムにも昼休憩は設定されているので(審査員やアナウンスの人もいるので当然だが)、
搬入口担当組は、午前の部のトラックを全て搬出口に回したら弁当タイムとなっていた。
弁当は、地下にあるスタッフの控室みたいな楽屋で食べるのだが、
あるとき、その部屋に設置されていたテレビを誰かがつけたことがある。
知っている人は知っていると思うが、舞台袖にあるような、ステージの様子が映るようなテレビだ。
だが、なんかほかに見れないのかなとチャンネルを適当に回していたときに悲劇、いや喜劇は起こった。
明らかにR-18的映像が流れたのである。
幸か不幸か音声はどうやっても流れなかったが、
なぜこんな映像が見れるのかと、血気盛ん、精力盛んな男子高校生は
その画面を笑いながらもどこか真に迫った様子で見ていた。
結局、見つかったら面倒だということで1分くらいでテレビは消したが、
コンクールの手伝いと言えばこの記憶が真っ先に浮かぶほどの衝撃度合となってしまった。
ある意味トラウマだぞこんなの。
ヤりたい盛りの男子高校生にこんなもの見せるなんて。
とまあ、非常にわかりづらい説明で申し訳ないが、
このような裏方の微力ながらも確実な仕事にも支えられて、コンクールは行われているのですよ。
ということをね、経験者としては知っておいてもらいたかったわけです。
ありていに言えば、感謝の気持ちですよ。
高校生の皆様、お疲れ様です。
土曜日の夜に家にいると、突然花火の音がしたので
窓を開けて外を見ると、遠くのほうで花火が上がっていた。
多分シャープの夏祭りのヤツだろうなぁと思いつつ、
ベランダに出てしばらく眺めたあと、
部屋に戻ろうかと網戸に手をかけようとすると、
網戸の真ん中に、スズメバチ。ヒエ~ッ
極めて慎重に網戸をスライドさせてそーっと部屋に入り、慎重に網戸を閉める。
ここまでくればこっちのものだ。
部屋の中から縫い針を使って網戸の網目の隙間から攻撃。
ほっそいほっそい縫い針なのでなかなかヒットはしないが、
向こうも尻を震わせて威嚇。かなり激怒している模様。
しばらく攻防は続いたが、やがてヨタヨタと網戸の端に移動し、見えなくなってしまった。
実はスズメバチにこんなに接近したの初めてなんで
ついつい幼稚な行動に走ってしまったことを今は反省しております。
でも、申し訳ないことをしたとは思ってません。
ヤツらの殺傷能力の高さを認めればこそ。
――――――――――――――――――――――――
昨日の日曜日は、広島県吹奏楽コンクールの大職一部門の日でした。
今年もおれは不参加なので、終始客席から聴かせていただいた。
それにしてもこの日も暑い。
普段、冷房の効果もほとんど届かない熱気と蒸気の溜まり場である厨房にいるとはいえ、腐っても屋内。
日中は炎天下の屋外に出ることもあまりないので、
実際今年の暑さがどのようなものかあまり実感していなかったのですが、
今年ヤバいね。途中の路上温度計が39℃になってましたよ。
グロッキー状態になりかけながら、なんとか現地に到着。
どうでもいいけど、バイクで走行中に熱中症になったらどうなるんでしょう。
転倒したが最後、2号線でハンバーグになってしまう運命をたどるのでしょうか。
昼過ぎまでは高校A部門の終盤戦が行われていて、そのあと大学→職場一般となるこの日。
大学の部終了後に、いざ会場へ。
っておいおい、販売されているプログラム冊子の表紙。
今年はなんかアレだな、なんか時代を反映してるというか、
そっち方面の文化には明るくないので、○○みたい、という例えはできないのですが、
一般人目線で言うところの、「腐女子が好みそうな絵柄」のキャラクターが楽器を演奏してるイラスト。
吹連はじまったな。いや終わってるだろ。どーすんだコレ。
そんでもって精一杯爽やかさを出そうとしてる感がヒシヒシ伝わってくるのが余計に悲しくなる。
なんでこんな冒険しちゃったのか。吹連は。
まさか、表紙のレイアウトを依頼していた先から提出されたのがこれで、
断るわけにもいかないからそのまま使っちゃったってことはないでしょうね。
いつやらのウィンドの定期のプログラムを思い出すぜ。
結局断ったけど、おれが実行委員長のときだったから大変だったぜ。
そして一般の部の雑感をさらりと。素人耳注意。
NTT中国 ・・・ 金・代表 いつもほど圧倒はされなかった。まあ普段がアレ過ぎるだけなんだが。
海田 ・・・ 銅 うーん。安定の海田クオリティ。いつもよりは多少よかったとは思う。
ファミリア ・・・ 金・代表 今年は珍しくF土井というネームバリューに頼らない納得の代表だったと思う。
祇園W ・・・ 金・代表 ハッキリ言って今年は絶対代表ではないと思った。納得いかん。
国際OB ・・・ 銀 近年、「金賞か銀賞かの当落線上」というポジションから一歩後退した気がする。
やすにし ・・・ 銀 自由曲好きな曲だったんで期待したんですが、非常に惜しい演奏だった印象。
東広島W ・・・ 銀 課題曲がまだ少しバラけて聴こえてくるのが残念。コーラスはGOOD。
元祖平成 ・・・ 金 個人的にここがトップで抜けると思った。圧巻の演奏。Hrnすげぇ。納得いかん。
福山W ・・・ 銅 コンクールとしては、自由曲の選択がイロモノだった感じ。
廿日市 ・・・ 銀 元祖もよかったけど、課題曲Ⅴはここの演奏がよかった。
五日市 ・・・ 銀 課題曲Ⅲのドラムはここが最高にカッコよかった。楽譜通りだったかは微妙だが。
ということで、代表は、NTT、シンフォニックファミリア、祇園ウィンドの3団体。
個人的には、
NTT≧元祖>>ファミリア>>>>祇園>>東広島>国際>五日市≧廿日市>やすにし>>>福山>>>海田
だった印象。
元祖については、演奏が終わって拍手の段階で、
隣で一緒に聴いてた人と、「ここは抜けましたね」と言い合ってましたし、
休憩中に会った元元祖の友人にも、「元祖は当確じゃろ。祇園はイマイチだったわ。」ということを
祇園の集団がいる横で、それに気づかず断言してしまったり。
代表常連の元祖とはいえ、今年はさらに圧巻だった印象なのに、
プロの耳ってのはわからないなぁ。(これ批判じゃないですよ)
ウィンドについては、特に自由曲よかった。
課題曲も、初のⅤという選択に少し不安でしたが、ホッとしました。
ていうか、音楽祭終了後から1か月半でよくここまで仕上げたな。
まあ毎年のことですが、この短期で持っていく力に関しては目を見張るものがありますね。
そして再来週から酒まつりまでの1か月半で、今度は映画音楽10曲ちょいか。
そして秋のイベント2,3件片づけて、定期まで4か月か。
うん、なんだこの忙しさ。
まあ毎年のことですが。
順位については、まだ詳細を聞いていないのですが、
ウィンドは銀の1番上だったらしい。
マジか!!!
あーーーまたかよ。つーかウィンドって銀賞のトップ多くない?
3年前もそうだったし、去年も銀賞トップと1点差の銀賞2位だった気がする。
ちなみに今年も含めたその3回は、おれは出場していない。
おれがウィンド入団後に出場したのは2回だ。
4年前(銅賞)と、2年前(銀賞の1番下)の2回・・・・・・あれ?
あっ・・・(察し)
ところで、このコンクール。
会場の至る所で、スタッフとして動き回る高校生の姿を見ることができる。
別に女子高生をたくさん見れて喜んでいるわけではありません。
これ、僕も高校時代にやったことあるんですよ。懐かしいなぁ。
ということで、コンクールスタッフのお話を少しさせていただこう。
(あくまでおれが高校生だった当時の内容です。今は知りません。)
スタッフとして召集される高校生は、当然会場近隣の高校の吹奏楽部員ということになる。
おれがいたM町のほか、K泰寺、あとM実もいたかな・・・あとどこだっけ。
毎年コンクール直前に平和祈念式典があって、それの演奏参加校とごっちゃになってるんですよね。
そっちの方は、舟入とか市商とかもいたんですが。
ともかく、その該当高校の生徒たちは、自分のコンクール出場が終わり次第、
スタッフに回ることになるのだが、
基本的に高校は、B部門→小編成→A部門という日程の流れになっていたため、
A部門とB部門の両方に出ていたウチの高校は、
B部門組が先にスタッフとして召集され、A部門組もそちらが終わり次第合流することになる。
ちなみにこれは強制ではなく、あくまで自由参加である。
例えば、コンクール終了後に家庭の用事があったりして参加しない人もいる。
とは言え、どうせこの期間は当然部活もやってないし、
部署にもよるけどタダで他校の演奏が死ぬほど聴けるので
ウチの高校に関してはほとんど参加していたように思う。
さすがに盆に差し掛かってくる終盤辺りは減ってきたけど。
ああ、そうそう。
上で「タダで」と書いたが、実はタダではない。
スタッフとして働くと、1日当たり1000円の日当が出ていたのだ。
今考えると、朝から日没まで、
しかも、炎天下の下で(←これについては後述)動き回っていて1日1000円とはとんでもない話だが、
あくまで部活の延長として行っていたことに日当が発生したことに当時は感動したものだ。
思えばこれが人生初のバイトだった。
スタッフはいくつかある部署、というかまあ仕事内容ごとに人員を振り分けられる。
受付スタッフ、
プログラムやCD等の販売スタッフ、
出演者の誘導スタッフ、
舞台上のイスや譜面台、ピアノ等を団体ごとにセッティングするスタッフ、
審査員にお茶を出すスタッフ、
打楽器運搬トラック等の整理のための駐車場常駐スタッフ、
打楽器の搬入、搬出スタッフ、
客席出入り口で待機して団体入れ替えの間に扉を開けるスタッフ、
等々、、このように多岐にわたる。
このうち、駐車場スタッフは搬入・搬出スタッフと併用なのだが、
基本的に女社会である高校吹奏楽部において貴重な男手は120%ここに配備される。
まあ炎天下の屋外業務や肉体労働など、男にでもやらせておけということなのだろう。
吹奏楽部の男とはかくも不当な扱いの中で、理不尽のなんたるかを学び、強く逞しくなっていくのである。
まあそのぶん男同士の結束はかなり強くなり、
毎年コンクール後には、学年を越えて男だけの打ち上げをしていた。
打ち上げ後に中央公園で花火をしようとして職質されたのもいい思い出ですよ。
少し話は逸れるが、おれやJungleなんかは男で、さらに金管ということで一番割を食っていた気がする。
木管の「楽器が繊細だから屋内使わせて~」、低音の「思いから入口付近使わせて~」
まあ、ラッパは男の先輩多かったし、Jungleなんてボーンの練習場所離れておれんとこ来てたくらい、
目の届かないのをいいことに、割と好き勝手にしてた気がします。
おれとJungleの絆は、このような経験を経てガッチリと深まっていき、
今ではウィンドでは誰もが認めるコンビとなっていったのであります。 Fin.
閑話休題。
ということで、スタッフ腕章に加えて、麦わら帽子必携となるこの男の花園には、
もう一つ必需品がある。
それが、トランシーバー。
まず男は2グループにわかれて、それぞれ搬入口と搬出口に待機するのだ。
トランシーバーはそれぞれに1機ずつ渡される。
それぞれの場所には、その日のタイムスケジュールを記した紙が貼られており、
そこには当然トラック到着時間や舞台搬入時間、といったデータまで記されている。
トラックが到着すると、
駐車場ゲートのところで運転手に団体名を確認し、誘導。
そしてトラックに積まれている打楽器等をおろす。
積み下ろしは基本的に運転手やその団体の生徒、団員が中心になって行うが、
特に中学だと、かなりの部分補助が必須な場合も多い。
男手がほとんどいない高校なんかでも然り。
当然、1つの団体が完了したら、次のトラックが来て・・・・というわけにはいかない。
トラックは次々にやってくるので、そこらへんをうまくやりくりするのが慣れるまでは難儀した。
そして降ろした打楽器は搬入口の扉をくぐってすぐの舞台袖下手側に運び入れる。
そして、空っぽになったトラックを搬出口に回すのだが、ここでトランシーバーの出番だ。
搬入から搬出に、搬出口の様子を聞き、回してOKなら運転手に伝える。
そして搬出口には、「○○高校のトラック、中ピ(中国ピアノ運送)、ナンバー12-34、いまから回します、どうぞ。」
てな具合につけていく。
ナンバーなんかは到着した時点でタイムテーブルのその団体のところにメモしておくのだ。
搬出口での打楽器搬出や積み込みが手間取っており、駐車場の容量がいっぱいの場合は、
少し待機しなくてはいけない。
このようなときは、搬出から応援要請が来る場合もあるので、何人かそちらに回すこともある。
ちなみにおれは、スタッフ担当した2年間とも、一貫して搬入口担当だった。
炎天下だし肉体労働だが、
終始緊張して私語もロクにできない舞台袖待機組(セッティング担当)や受付組とは違い、
要所要所の仕事さえしていれば、待機中は私語し放題だし、
搬入口くぐったらすぐ舞台袖なので、演奏を聴きに行くのも容易かった。
ある意味、「人の目が行き届いていない」ような持ち場だったので、精神的にはかなり楽だったと思う。
駐車場入り口で待機中に中学時代の顧問と遭遇して話したり、
舞台袖にフラフラ~ッと入り、待機中の中学生と、
「この楽器何ていう楽器なん?」
「ああ、これクロテイルです。」
「へぇ~これが!現物初めて見たわ。」
なんつー会話したりね。
緊張しているであろう中学生の緊張を解すべく色々話しかけていたのだが、大迷惑だったに違いない。
いや、ちゃんと大人もいましたよ。アーツ楽器の人とか、K泰寺の顧問の先生とか。
なお、スタッフに召集された他校の吹奏楽部には当時あまり男がいなかったのか、
おれがスタッフした1年時と2年時はここのスタッフは大部分がウチの高校の生徒だった。
ある年など、ウチの男衆以外は、K泰寺とM実は1人ずつだけだったという年もあった。
ただ、そのときのK泰寺の人(1コ上)がコミュ力の塊のような人だったので
結局その人がみんなをまとめていた気がする。
コンクール終了後にその人の呼びかけで「男スタッフの打ち上げ」までやったし。
ホントお前ら打ち上げ大好きだな! と当時のおれたちに向けて一言。
さて、仕事をする上で何と言っても楽しみなのは弁当である。
スタッフには弁当が支給されるのだが、
毎日、何種類か弁当があり、好きなヤツを勝手に取って食べるのだ。
今でも非常によく覚えているのだが、
時々、「ウナギ弁当」があったのである。
うな重みたいなのがそのまま入ってる、たぶん1000円くらいもするヤツが。
それがあった日は必ずそれを奪取していた。まあ当然でしょ。
ちなみに、一日を終わって弁当が残っていた場合は、頼めば貰えたので、
頻繁に持ち帰って食べていた記憶がある。ヒドイ時は1日に3個貰って帰ったこともあった。
一度だけうなぎ弁当が残っていたときは、そりゃ嬉しかったね。
プログラムにも昼休憩は設定されているので(審査員やアナウンスの人もいるので当然だが)、
搬入口担当組は、午前の部のトラックを全て搬出口に回したら弁当タイムとなっていた。
弁当は、地下にあるスタッフの控室みたいな楽屋で食べるのだが、
あるとき、その部屋に設置されていたテレビを誰かがつけたことがある。
知っている人は知っていると思うが、舞台袖にあるような、ステージの様子が映るようなテレビだ。
だが、なんかほかに見れないのかなとチャンネルを適当に回していたときに悲劇、いや喜劇は起こった。
明らかにR-18的映像が流れたのである。
幸か不幸か音声はどうやっても流れなかったが、
なぜこんな映像が見れるのかと、血気盛ん、精力盛んな男子高校生は
その画面を笑いながらもどこか真に迫った様子で見ていた。
結局、見つかったら面倒だということで1分くらいでテレビは消したが、
コンクールの手伝いと言えばこの記憶が真っ先に浮かぶほどの衝撃度合となってしまった。
ある意味トラウマだぞこんなの。
ヤりたい盛りの男子高校生にこんなもの見せるなんて。
とまあ、非常にわかりづらい説明で申し訳ないが、
このような裏方の微力ながらも確実な仕事にも支えられて、コンクールは行われているのですよ。
ということをね、経験者としては知っておいてもらいたかったわけです。
ありていに言えば、感謝の気持ちですよ。
高校生の皆様、お疲れ様です。
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Comment
無題
お久しぶりです。昨日福岡から戻ってきました。そしたらコンクール全部終わってしまっていたという……残念
結局今年は情報が一切入ってこず、高校・大学・職一ともにどこが何したか全然知らないんですが、職一だけでも教えてもらえませんか?
結局今年は情報が一切入ってこず、高校・大学・職一ともにどこが何したか全然知らないんですが、職一だけでも教えてもらえませんか?
カウンター
プロフィール
HN:
根魚
年齢:
35
性別:
男性
誕生日:
1989/09/16
職業:
臨時職員
趣味:
作曲・編曲、釣り、ラーメン屋巡り
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